清原元輔
きよはらのもとすけ
平安中期 男性歌人
経歴・人物紹介
平安時代中期の歌人で、三十六歌仙の一人。清原深養父(36番)の孫にあたり、清少納言(62番)の父。肥後守などの地方官を歴任した。
後撰和歌集の撰者の一人で、古今集から後拾遺集まで多くの勅撰集に歌が収められる多作の歌人。娘・清少納言が「枕草子」に父の歌才について触れている。
この歌人の百人一首
エピソード・豆知識
「契りきな かたみに袖を 絞りつつ 末の松山 波越さじとは」の歌は、互いに袖を絞るほど泣きながら、末の松山に波は越えまいと(変わらぬ愛を誓った)あの約束はどこへ行ったのかと詠んだ歌。「末の松山」は変わらぬ誓いの象徴だった。
娘の清少納言は枕草子の中で「父が歌人であることが誇り」と記している。清原家が代々続く歌人の家系だったことを示す重要な証言で、文学的才能が家系を通じて受け継がれた典型例として注目される。