崇徳院
すとくいん
平安後期 男性歌人
経歴・人物紹介
第75代天皇(在位1123-1141年)。鳥羽天皇の第一皇子として即位したが、父・鳥羽上皇に疎まれ譲位を強いられた。1156年の保元の乱で後白河天皇方に敗れ、讃岐(香川県)に配流された。
配流先でも和歌を詠み続け、その悲劇的な生涯から没後は「日本三大怨霊」の一つとして恐れられた。優れた歌人であり、多くの秀歌が勅撰集に収められている。
この歌人の百人一首
エピソード・豆知識
「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」の歌は、岩に阻まれて二つに分かれる急流のように別れても、やがて末には逢えると信じると詠んだ恋歌。崇徳院自身の数奇な運命を重ねて読むと一層深い。
讃岐に配流された後、血書した願文を送っても都に受け取ってもらえなかった絶望から悪念に転じたとされ、保元の乱で亡くなった怨霊として怖れられた。上田秋成の「雨月物語」にも「白峯」として描かれ、近世以降も怨霊伝説が語り継がれている。