ひさかたの 光のどけき 春の日に
しづ心なく 花の散るらむ
ひさかたの 光のどけき 春の日に
しづ心なく 花の散るらむ
歌意
日の光がこんなにものどかな春の日に、どうして桜の花ばかりは落ち着いた心もなく散り急いでいるのだろうか。
超現代語訳
天気最高でポカポカなのに、桜だけなんでそんな生き急いでるの? もうちょっとゆっくりしていけばいいじゃん。散る美学とか今はいいからさぁ。
この歌を、あなたの言葉で訳してみませんか?
みんなの超現代語訳に投稿する決まり字
ひさ
文法解説
【句切れなし】「ひさかたの」は「光」などにかかる枕詞。「しづ心」は落ち着いた心。「らむ」は推量の助動詞(〜しているのだろう)。
掛詞
なし
補足解説
紀友則。穏やかな春の日差しの中で、桜の花だけが慌ただしく散っていく対比を詠んだ名歌。日本人の桜に対する無常観を象徴する一首。
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この歌はどんな場面で詠まれたのか
日の光がこんなにものどかな春の日に、どうして落ち着いた心もなく桜は散り急ぐのだろうか——桜の散り際を惜しむ歌です。『古今和歌集』春下に収められています。
この歌の構図は、対比で成り立っています。上句が描くのは、静かで穏やかな春の光。「のどけき」は、ゆったりと落ち着いたさまを表す語です。ところが下句では、その穏やかさとは裏腹に、花が慌ただしく散っていく。
対比されているのは、変わらないものと変わるものです。日の光は変わらずそこにある。しかし花は散る。同じ春の一日のなかに、永続するものと失われるものが同居している——その気づきが、この歌の底にあります。
「しづ心なく」は、落ち着いた心がなく、という意味。本来は人に使う言葉です。それを花に用いることで、花があたかも意思を持って急いでいるかのように見えてきます。
「らむ」という問いかけ
結句の「散るらむ」の「らむ」は、現在推量の助動詞です。目の前で起きていることについて、その理由を推し量る働きをします。
つまりこの歌は、「散っている」という事実を述べているのではなく、「なぜ散っているのだろう」と問うている。答えは示されません。問いのまま終わります。
この問いかけの形が、この歌を単なる叙景から一歩進めています。花に理由を尋ねても答えるはずがない。それを承知で問わずにいられない、という心の動きが「らむ」に込められているのです。
初句の「ひさかたの」は枕詞で、「光」「天」「月」などにかかります。実質的な意味は持ちませんが、この歌では「光」を導くことで、冒頭から明るさの印象を作る役割を果たしています。
なお、この歌は桜を詠んだ歌の代表として、古来きわめて有名です。「花」とだけあって桜と特定していないのは、平安時代以降「花」といえば桜を指したためです。
詠み手・紀友則について
紀友則(きのとものり、生年未詳〜907年頃)は、平安前期の歌人です。三十六歌仙の一人。
紀貫之(百人一首35番の作者)の従兄弟にあたり、貫之・凡河内躬恒・壬生忠岑とともに『古今和歌集』の撰者に任じられました。ただし友則は撰進の完成を待たずに没したと伝えられています。
『古今集』には、友則の死を悼んで貫之と躬恒が詠んだ歌が収められており、撰者仲間から惜しまれた人物であったことがうかがえます。
『古今集』には多くの歌が採られており、この33番の歌はそのなかでも最もよく知られた一首です。